21世紀教育研究所 ブログ
不登校を克服したお母様の体験記

心配もありますが、大いに楽しんで一緒に歩んでいきたい

ニックネーム A.Sさん

「わたし、小学校に入学するの、すっごく楽しみにしてたんだよ。どんなところかなー、何をするのかなーって。でも、入学した次の日から、なんか違うなって思っちゃったんだよ。わたし、なんで学校にいけないんだろうね、ママ」
 こう書いていても鼻がつーんとなる、娘の言葉。
 小学校には3か月通ったきり、一度も教室に入ることはなく、3年が経ちました。毎日のほほんと暮らしているけれど、小さな胸には「なんで学校にいけないんだろう」という小さな傷があって、親の私は、その傷が1ミリでも大きくならないように、この3年間密かに心を砕いてきました。
 小学校1年生の6月、途中の公園まで、下校する娘を迎えに行ったある日のこと。私に気づいた娘は「ただいま!」と笑顔を作っているけれど、笑っていないのが一目瞭然、悲しいような怒っているような、こちらがたじろぐほど複雑な顔つきをしていました。わざと冗談めかして「今日なにかあったんでしょう」と聞くと、プールの授業で、先生の手違いで一番レベルが上のグループになってしまい、皆についていけずに辛い想いをしたことを話し出しました。私は「大変だったね、先生に話しておいてあげるね」と慰めながら、内心「一年生にはよくある話だな、がんばれがんばれ」と微笑ましいくらいの気持ちでいました。
 ところが次の日、学校から「泣き止まないので迎えに来て欲しい」と連絡がきました。学校につくと、しゃくりあげながら保健室のテーブルクロスの模様を一心不乱にノートに描き写す娘。こんな風に、登校途中で泣き出す→学校から連絡が来る→迎えに行く、が1週間くらい続きました。彼女なりに色々な理由や経緯があったようです。プール授業での出来事をきっかけに、学校には行かなくなりました。
 学校が合わないのなら仕方がない。我が家は、私も夫も不登校経験があるので、さして深刻にはなりませんでした。当時娘の心中はとても混乱していましたから、そんな娘の様子を見守る苦しさはあるものの、誤解を恐れずにいうならば、私は「子供とたくさん遊べるぞ」と嬉しい気持ちさえありました。我が家にはもう一人年の離れた長男がいて、子供というのはあっという間に育ってしまう寂しさが身に染みていたからです。学校に通わず、自宅で学習し、自然の中にでかけ、好きな習い事に通う生活も、もう3年目になります。
 それでも、嬉しいばかりではありません。娘が不登校になって困ったことは主に2つ。まず友達と遊ぶ機会が格段に減ったことです。私たちの住む地域には子供が少なく、幼稚園で仲の良かった子たちは別の小学校に通っているため、これは私の最大の懸念事項でした。フリースクールに通うことでこの問題は多少解決してはいますが、やはり近所の公園で大ぜいで遊んでいる子供の姿を見るにつけ、本人はたいして気に留めていないようですが、親としてちょっぴり寂しい気持ちになります。
 そしてもう一つは、私の仕事のこと。私は自宅で出来る仕事を掛け持ちしており、娘の小学校入学後は開業して本格的に取り組むつもりでした。不登校の子供がいても、仕事は家でできるので差支えはないはずですが、子供が学校にいかないで家にいるというだけで私の意識や気力はほとんど子供に向いてしまい、仕事に打ち込むことが難しくなりました。この「いつも見えない荷物を背負っている感じ」、これはきっと、不登校の子供の親なら誰でも感じているのではないでしょうか。
 娘は「学校に行けるなら行った方がいいと思う。学校に戻る方法をずっと探しているけど、見つからない」と言います。娘の人生は娘のもの。コロナを機に加速する社会の変化とともに、学校に行かない選択をしている娘がどのような人生を切り開くのか、心配もありますが、大いに楽しんで一緒に歩んでいきたいと思います。

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