21世紀教育研究所 ブログ
不登校を克服したお母様の体験記

不登校の先には、素敵な出会いが待っていました

ペンネーム Yさん

 現在、学校へは、放課後に週1、2回行っている小学三年生の娘がいます。

 入学までは、学校をとても楽しみにしていて、やる気満々で登校。始めは頑張っていましたが、だんだんと腹痛や頭痛を訴えるようになり、微熱も出始めました。
 運動会の後高熱を出し、しばらく学校を休みました。その後膀胱炎になり、微熱がなかなか下がらず、やっと下がって学校に行けたと思ったら、今度は目の前にギザギザした光のようなものが見えて、目が見えにくいと言い出しました。次の日も治らないため、医者に行くと、精密検査をしましょう、ということになりました。
 脳も疑いながら検査をしましたが異常はなく、医師からは、「原因は精神的なものだと思います」と伝えられました。「そんなことがあるのですか?」と聞くと、「あります。目が見えづらくなることもありますし、足が動かなくなることも。いろいろありますね。」との答えが。
 学校へ行くことが、そんなにストレスを感じることだったのかと、改めて気づかされた瞬間でした。

 お友達とは仲良く過ごしている様子。学習面も全く問題はなさそうでした。ただ、「トイレに行く時間がない」と言っていました。それから、入学前は、楽しそうにどんどんやっていた漢字を、入学後は、「まだ一年生では習わない漢字だから、書いちゃダメなの」と、逆に書かなくなったことも気になっていました。
 発達障碍についても考え、長年障碍者教育に携わってきた父親に尋ねてみましたが、その兆候はみられないと言われました。
 インターネットで散々調べた結果たどり着いたのが、HSPでした。今ではかなり認知されていますが、少し前までは殆ど知られておらず、学校はもちろん、小児精神科の先生にHSPについて相談したときも、「うちでは今、一般の患者さんの発達障碍の診断はしていないので、まずは学校に相談を」と言われました。

 担任の先生が朝、出勤途中に家に寄って、一緒に学校へ行く、ということになったことがありました。始めは先生が来てくれる、ということで喜んでいた娘ですが、やはり学校へは行けなくなってきました。
 保健室登校も、始めは私と一緒に行っていましたが、だんだんと保健室も自分の居場所ではないと感じてきたようで、あまり行きたがらなくなりました。
 「お母さんも教室に一緒に来ていただくことはできますか?」と一緒に教室へ行くことになり、授業中、教室の後ろで見守る日々もありました。同じクラスの子供たちは、腕白な子もいるけれど、皆いい子でした。休み時間は私にも沢山話しかけてくれて、私も楽しかったのを覚えています。

 しかし、娘はやはり、だんだんつらくなってきて、放課後だけ行くようになりました。その頃ネットで今通っているフリースクールをみつけて、連絡をとりました。一年生の三学期の頃でした。

 初めてフリースクールに行ったとき、やっと温かい空間で過ごすことができた気がして、ホッとしたのを覚えています。

 娘の心の選択は、フリースクールでの、沢山の素敵な人との出会いの場へと導いてくれ、学校以外にも’学び’が沢山あることにも気づかせてくれました。
そして娘のおかげで、HSCという特性について知ることができ、自分もHSPだったんだ、ということもわかってきました。
 学校の先生とも密に接することが多くなり、先生の思いやりや、温かさを身近に感じることができるようになりました。

 昼間のざわざわした、四角い学校、という所から解放されたからか、どんどん勉強も、し始めました。学校へ行っている頃の自分や、今の自分のことも客観的に捉えて、次々に文章や絵で表現したりもしています。

 今は、下校中のお友達とハイタッチをしながら、放課後の学校に楽しそうに通い、担任の先生のことも大好きなようです。
 まだまだこれから、沢山の壁を越えることになるのかもしれませんが、多くの人に支えられながら、自分なりの生き方を今、娘も私も模索し始めたところです。

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