21世紀教育研究所 ブログ
不登校を克服したお母様の体験記

息子は当時からコンカツに励んでいました。「婚活」ではなく「昆活」

ペンネーム M.Nさん

我が家は、小学1年生に上がってすぐに問題行動が目立ち始め、小2で行き渋り、小3は毎日母子で大喧嘩しながら学校へ行かせ、小4で完全不登校になりました。それ以来、通信制高校もほぼ登校していないので、実に不登校歴10年のツワモノです。
きっかけは、先生の理解のない発言からでした。
小4の夏休み明けに、3か月ぶりに私が同伴で登校できたのですが、入り口で待っていた担任の先生から、「先生は別に難しいことをやらせてるわけじゃない。学校に来るのはみんなができること。〇〇君にもみんなと同じことをやってもらいたいだけだからね」と言われ、「小3の三学期に国語で『みんなちがってみんないい』って習った。学校を休むことは悪いことじゃない。俺はみんなと違うだけで、悪いことはしていない。」と、そんなことを先生に堂々と伝えていたのを見て、非常に驚かされました。
そこから息子と何度も何時間も話をし、不登校という選択肢を選ぶ勇気をもらいました。
息子は当時からコンカツに励んでいました。「婚活」ではなく「昆活」
図鑑がボロボロになるまで何時間でもページをめくり、いつか採りたい虫に思いを馳せ、何時間も過ごせる子でした。
小学3年の時に、とある先生に直々にお願いをし、採集や標本作成、データ収集や飼育に関して、専門的なことを指導してもらうようお願いし、不定期ではありますが、プロと同等の生き物調査を始めるようになりました。そのうち先生から、「昆虫だけじゃなく、植物や両生類・爬虫類・鳥類、環境の知識も必要」と言われ、昆虫を取り巻く他の生き物や環境などの勉強も重ねると、採れる虫の数や種類も劇的に増え、ますますのめりこんでいきました。中学に上がるころには、不登校を逆手に取り、平日も単独で採集に出かけるようになり、採集を重ねるごとに腕前を上げ、一つの分類群では先生をしのぐ知識も身に着け、中学2年で先生との師弟関係は解消。パートナーとして採集に誘ってもらえるくらいの実力まで成長しました。
単独の採集では、まずふさわしいターゲットを決め、事前の情報収集、天気予報や移動手段、必要な装備やコンディションの調整をし、現地に向かい、現場での状況を見て必要に応じ臨機応変に変更しながらターゲットを狙う。採れないことの方がほとんど。イノシシやマムシとの遭遇、土砂崩れなど、危険も伴うため、正しい知識や判断を要します。そんなときは帰宅してからの反省点の洗い出しから、次の採集まで必要な準備を重ね、何度も遠征。採って帰宅できた時も、なぜ採れたのかの検証も欠かさない。誰に教わることもなく、自分でPDCAを回し、自分でカリキュラムを作成してしっかりと採集や標本の腕前を上げていく姿に、母はもう、「この子に学校は必要ない」と確信しました。
彼が劇的に変化したきっかけは、二つ。まず、昆虫の先生に出会えたこと。当時の我が家は冬の昆虫採集などの知識がなく、冬場何もやることがなくふさぎ込んでいましたが、冬こそできる採集や、標本作成に燃えたりすることで、年間を通じで好きなことに触れることができるようになりました。もう一つは母親が、心から「必要な学習は、すべて好きなことから学ぶことができる。」と信じ、学校が必要ないと腹をくくったこと。特に言葉で伝えたりはしていませんが、私がそう覚悟を決めたことを察してか、息子も罪悪感や劣等感を感じることなく、好きなことに熱中することができたようです。
高校はあえて通信制高校を選択。採集優先の3年間を過ごすことができています。昨年は学校の課題で、自分が今研究している昆虫のレポートを提出し最優秀賞をいただくことができました。
10年物の不登校には勇気と覚悟が必要です。でも10年貫いたからこその勲章です。
今は高校卒業後の進路を決める時期ですが、もちろん、不登校がハンデにならないよう、昆虫の実力を武器にできる進路選びを模索中です。

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